I. レコード実績
以下は業界誌「オリコン」のデータをもとにしている。売り上げ枚数等、他の集計値と異なることがあることを、あらかじめ了承されたい。
アグネスは、1972年の「ひなげしの花」から、1985年の「愛がみつかりそう」まで、13年間に32枚のシングルを出している。残念ながら全ての曲がヒットしたわけではない。オリコンの資料でみると、32曲中22曲が100位内にチャートインしている。表にまとめるとこのようになる。
ここで同世代のほかのアイドル歌手を、ヒット曲の面でみてみよう。
1971年、1972年、1973年、1974年、1975年、1976年、1977年、1978年
いかがであろうか。表についてコメントをはじめると、いろいろおもしろいことがあるのだが、ここでは割愛させていただく。本論からかなり外れるからだ。もっともほかの章で若干触れているかもしれない。
ただ、ここに登場してもらった歌手たちは、誰がなんといおうと当代一流の大スターだったこと、その彼女たちにさえ、世代交代という厳しい現実があったことをみてとってほしい。
次にLPをみてみよう。同時期、LPは「ひなげしの花」から「City Romance」まで34枚が出ている。なんとシングルより多い! あと、SMSから再プレスされたLPが4枚ある。「草原の輝き」(SM24-5126)、「FLOWER CONCERT」(SM38-5141-42)、「愛のメモリアル」(SM38-5139-40)、それに「ハッピー・アゲイン」(SM24-5134)である。
LPについては海外盤にも触れる必要がある。もっともシングルについても香港で出しているようだが、LPほどには日本に伝わってきていない。JUSTINさんのマカオサイトに何枚かのシングル盤が紹介されている。
できればここでアグネスの曲について書きたいところだが、音楽的素養ゼロのため、無理だ。アグネスの音楽的功績として一般に認められているのは、ニューミュージック系アーティストを歌謡曲と結びつけたことだと言われる。ところが、私はニューミュージックなるものは全くと言っていいほど聴いていないので、その功績のすごさをお伝えできない。荒井由美、矢野顕子あたりはなんとかなるにしても、キャラメル・ママ、ムーン・ライダース、ラスト・ショウにいたっては皆目分からない。ひとつご勘弁願いたい。
デビュー曲の「ひなげしの花」がいきなり33万枚近く売れており、新人歌手として、素晴らしいスタートを切っていることがわかる。その後「恋のシーソー・ゲーム」までコンスタントに10万枚以上を売っている。その中で、「小さな恋の物語」では待望のヒットチャート1位を記録し、シングル中ベストワンの58万枚というセールスも記録した。1976年前半まではヒットという点でまさに黄金時期だった。
1976年8月、アグネスがカナダ留学を発表、一時歌手生活を中断した後は、さすがにそれ以前のヒットほどには至らなかった。
しかし、留学中、ご本人がほとんど日本に不在の状況で出した3枚のシングルはすべてチャートインを果たし、さらに復帰後も5枚のシングルをチャートインさせている。アイドル歌手にとって2年のブランクは通常致命的な長さだが、アグネスはそれを克服する凄いパワーをもっていたといえる。
留学せずに芸能活動を続けていたら、どうなっていたか分からない、という少し意地の悪い見方もある。一概に否定はできない意見だ。留学時点で彼女はすでに21才、容姿はともかく、年齢的にはアイドルするには苦しい時期にさしかかっていたことも事実だ。アイドルから次へのステップアップはある種危険な賭けがあることは皆さんもご理解いただけるだろう。同時期、一世を風靡した天地真理ちゃんがその後どういう運命を辿ったかをみても、そこに厳しい現実があったことが分かろうというものだ。この点では、アグネスのカナダ留学は格好の場面転換であり、芸能活動を不連続にしたことで、無理なく次の飛躍が可能だったともいえるのである。
チャートインしなかった曲がまったく売れなかったかといえば、そうとは限らない。オリコンのヒットチャートは週ごとのレコード売り上げ枚数で順位が決まるから、少しずつ売れていった場合、チャートインの可能性が低くなる。これらの曲が最終的にどの程度のセールスになったかは、あいにく資料がないので不明である。
なお、チャートインした曲のトータルセールスは391万枚である。
登場いただくのは、一足先に3人娘としてデビューしていた天地真理、小柳ルミ子、南沙織、中三トリオでデビューした桜田淳子、森昌子、山口百恵、1970年代後半を代表するアイドルとしてキャンディーズ、ピンクレディー、1980年代前半のアイドル代表として中森明菜、松田聖子、ニューミュージック代表として松任谷由美、それに東南アジア出身で日本で活躍した歌手代表として欧陽菲菲とテレサ・テンの都合13人である。
1971年から、1985年まで、彼女たちがチャートインさせた曲は、アグネスの分も含めて全部で323曲あった。これらの総セールスはなんと8000万枚を軽く越えている。絶対数としてみただけでも凄い数だ。
発売年ごとに整理して表にすると次のようになる。
1979年、1980年、1981年、1982年、1983年、1984年、1985年
34枚にはその再プレス分は入っていない。シングルと同様に表にまとめるとこのようになる。34枚中20枚がチャートインしている。
状況はシングルとほぼ同じである。カナダ留学で日本不在の時出した5枚のLPはすべてチャートインしており、復帰後も4枚のLPをチャートに送り込んでいる。チャートインしたLPのトータルセールスは84万枚。たいしたものである。
海外盤のLPは発売年程度しか分からない。一部についてはオフィシャルのホームページで確認できるが、ちゃんとした資料がないことにはここに書けない。
ということで、年単位で表を作成してみた。対比のため国内アルバムを併記した。これがそうである。海外盤は分かっているだけで18枚ある。参考のため、収録曲目を示す。国内盤については皆さんのほうがお詳しいだろう。とくに示さない。と、いうより実はできない。国内盤はあまりマジメに集めなかったため、抜けが多いのだ。残念。
II. 受賞歴
デビュー前から注目を集め、デビュー後は瞬く間に人気を勝ち得たアグネスは、その年の新人の中で一歩も二歩も抜きん出ていた。新人賞レースでみた場合、アグネスは中三トリオ(桜田淳子、森昌子、山口百恵)と「同期」になる。彼女たちを前にアグネスは主な新人賞を総なめにした観がある。受賞歴をまとめるとこのようになる。
国内とは別に、香港をはじめ海外でもアグネスはいろいろな賞を受賞しているようだが、あいにく資料に乏しい。香港デビュー当時の受賞について若干が伝わってきているだけだ(第3章参照)。この辺りは、詳しい資料が入手できてから改めてご紹介したい。