掲載紙:微笑
日付または号数:1986年2月8日号
主題:花嫁はタフでなくちゃ!
副題:アグネス・チャンが超豪華セレモニー
本文:  ローマで意識し、アフリカで親密になり、香港と東京で挙式!娘は3度も、母も2度のお色直しという15時間に及ぶ中国伝統結婚式の一部始終を現地詳報!!
 香港の結婚式はちょっと意地悪で、どこかユーモラスなある儀式からはじまる。
 花嫁を迎えに行く花婿を大勢の花嫁の友人たちが待ち受け、いくつかの関門を設けて彼と彼女が簡単には会えないようにするのである。
 アグネス・チャンと金子力さんの結婚式も、その昔ながらの儀式によってはじまりを告げた。
 1月11日、快晴の香港。
 金子さんが10人の男性をひき連れ、アグネスの待つ香港島の愛都マンションを訪れたのは午前10時のことであった。
 なかで待ち受けるのは、アグネスと20人の独身女性。
 最初の関門はお金である。
 女性たちは花婿が門前にやってきてもドアを少ししか開けず、いくら持ってきたかと尋ねる。
 あらかじめ花婿が用意したのは9万9999円。
 9は久、つまり永遠という意味に通じ、婚礼などでは縁起のいい数字とされている。
 金子さんは、その9を5つも並べたわけである。
 しかし、女性たちはこれでは不足だという。
 慌てて男性陣が相談し、今度は香港ドルで999ドル99セント(約3万円)追加。
 女性たちはまだ納得せず、ついに、男性陣は全員、ポケットをひっくり返して、やっとかき集めたのが3999円。
 3も産に通じ、子宝に恵まれるという意味で縁起がいいと信じられている。
 そこでやっと家の中に入るOKが出た。
 この間約30分。
 集まったお金はすべて女性たちに公平に分配される。
 幸せを分かち合うという意味があるのだという。
 家のなかに入っても、まだ関門がある。
 最初は強い男であることを示すためにカンフーのかっこうをすること。
 次に歌を1曲披露して、それから、アグネスを永遠に幸福にすると広東語で誓わされる。
 花婿はそのバラエティに富んだ要求をすべてクリア。
 やっとアグネスとの対面が許されると、期せずして、部屋中から大きな拍手がわき上がった。
 儀式は最後に、花婿が花嫁の母・陳彭端淑(チェンバンドンソ)さん(57才)に、感謝の気持ちをこめてお茶を捧げ、そこで終わりとなる。
 金子さんがひざ礼をしてお茶を捧げると、母娘とも、ひと筋の涙が頬を伝って落ちた。
 嫁ぎ行く娘と見送る母。
 たとえ国は違い習慣は異なろうとも、その瞬間、母と娘に通じる惜別の情に変わりはない。
 前夜、ふたりは、さまざまな記憶と、さまざまな未来に思いを馳せながら、まんじりともせずに語り明かしていた。
 すべてがトントン拍子に運んだ結婚ではなかった。
 アグネスの結婚相手には中国人をと望んだ陳彭端淑さんにとって、最初、金子さんは招かれざる花婿という一面があった。
 親族会議も何度か開かれ、なかにははっきりと反対する親類もいた。
 だが、アグネスの気持ちは変わらなかった。
「ダメといわれたら、わかってもらえるまで待つ」
 そんなアグネスの固い決意を知って、真っ先に反対したはずの陳彭端淑さんが、最後には反対する親族の説得役にまわってくれたのである。
 母と娘の心のなかには少しのわだかまりもなかった。
「日本へ行ったら、だれからも素晴らしいといわれるような家庭の主婦になりなさい。
 それから、早く孫を抱きたいわねえ」
 という母に、アグネスはこんな言葉を贈った。
「寂しくなったらいつでも日本に来て。新しい家にはママのための部屋もあるんだから」

”香港芸能界では有史以来の盛大な挙式”
”過熱取材で、あわや日中戦争”と現地新聞

 香港天主教総堂で行われる結婚式に、アグネスが姿を見せたのは午前11時45分。
 クリーム色のロールスロイスのボンネットには、ウェディング姿の大きな花嫁人形が飾りつけられている。
 車がアグネスのものとわかると、つめかけた約1000人ほどのファンから”ウォーッ”という歓声。
「香港芸能界では有史以来の盛大な挙式」と報じた新聞もあったほどで、その注目度たるや、現地では”百友””聖輝”並み。
 当然、報道陣の数も多く、約50人ほどの日本側と100人の香港側で、さまざまなトラブルが起こる。
 ついには日本のあるテレビ局のスタッフが、香港の女性記者を殴ったの殴らないので取っ組み合いのケンカまで発展するしまつ。
 翌日の朝刊には”あわや日中戦争”とまで書かれていた。
 なにしろ、おたがいに言葉が通じない。そこで、ちょっと頭にくると、ついつい手が出る足が出るというぐあいであれほどの荒っぽい取材合戦は日本ではまずお目にかかれない。
「アグネスの結婚は香港より先に日本で報道されたでしょ。
 それで、香港のマスコミにはある種の反感があったんです。去年、香港で記者会見やったとき、”日中戦争が起きたらあなたはどっちの見方をするか”なんて聞かれて、アグネスが涙ぐむというようなこともありましたし。
 だから、アグネスもスタッフも、香港のマスコミにはすごく気をつかっていたんです」(渡辺プロ)
 そのせっかくの気配りも、影が薄くなるほどの過熱ぶりだったのである。
 ともあれ、およそ40分で式は終了。
「指輪の交換のときはからだの震えが止まらないほど感激しました」(アグネス)
「日本人結婚してよかったといわれるような家庭を作りたい」(金子さん)
 しかし、結婚式全体からみれば、教会での式は、まだほんの序幕にすぎない。
 セレモニーは、さまざまに趣向を凝らしながら、その後場所を香港一といわれるリージェントホテルに移して、なんと、10時間以上も続くのである。
 スケジュールは、ティーパーティ、カクテルパーティ、ディナーパーティと予定されているのだか、どこが始まりでどこが終わりなのかよくわからない。
 教会からホテルへ向かうバスのなかで、渡辺プロの社員が日本側の出席者にこう説明していた。
「始まりと終わりは、われわれにもよくわかりません。とにかく香港のひとについていってください」
 香港の結婚式はふつう午前中に式を終え、いったん散会。
 夕方4時ごろから、再び披露宴の会場に集まり出し、7~8時から披露宴が始まる。
 出席者たちは、その間、麻雀やカードなどのギャンブルをして披露宴の開始を待つのである。
 なかには披露宴が始まる前に、祝福の気持ちがうせてしまう人もいるらしい。
 アグネスの式にもやはり麻雀ルームが特別に一室設けられていた。
 昔は、結婚式といえば、3日3晩ブッ通しで騒いだものだという。しかも、招待されていない人でも参加できたし、見知らぬ家族が全員で参加しても一言の文句も出なかった。
 服装も男性なら日本では白のネクタイだが、香港は赤が基調。それも厳密でない。
 香港の結婚式は、日本とくらべると、出席者が積極的に楽しむという要素がはるかに強いようである。
 午後7時40分。
 シルク地に金糸で刺繍を施した、あざやかなチャイナドレスに身を包んだアグネスが登場。
 全身を宝石や貴金属で飾りたてている。
 そのほとんどが友人、知人からの贈り物。
 贈られた宝石や貴金属は、すべて身につけて披露するというのも、香港の習慣のひとつである。

2日間列車に乗って来た親族など600人が披露宴に

 アグネスと金子さんの恋愛は世界的なスケールで育まれてきた。
 5年前、タレントとマネジャーという関係で知り合ったのが東京で、金子さんが結婚を意識しはじめたのは、2年前のローマ。
 昨年2月、中国の貴州ロケで急速に仲が深まり、夏のアフリカでおたがいにどうしても必要と確認、7月に東京でプロポーズして、今年1月、香港で挙式。
 文字どおり国際的カップルなわけだが、披露宴の出席者も地球的スケールである。
 日本人、中国人はもちろん、アメリカ人もヨーロッパの国の人もいる。
 母の故郷、中国の貴州から駆けつけた親族は、列車を乗り継ぎながら、丸2日もかけてやってきた。
 しかも、初めての香港旅行とあって、見るもの聞くものすべてにカルチャーショックを受けた様子。
「自分の親戚にこんな有名人がいるとは知らなかった。
 村へ帰ったらみんなに自慢してやらなくちゃ」(従兄)
 そうした600人の国際色豊かな出席者が集まり、午後8時40分、ディナーパーティ、つまり、日本でいう披露宴が始まった。
 ただし、日本のように祝辞が何人も続いたり、歌を披露したりということは一切なし。
 祝辞は、渡辺プロ社長・渡辺晋さんのみで、あとはただステージ上の舞を鑑賞し、子豚の丸焼きに始まる12種類の中華料理をひたすら食べる。
 披露宴は食事を楽しむものというのが中国式の考え方だ。
 その間、アグネスは和服、ピンクのウェディングドレスと2度のお色直し。最初のチャイナドレスを入れるとお色直しは合計3度になるが、さすがに、そのときばかりは、大きな拍手と歓声が上がる。
 アグネスの母と2人の姉もそれぞれ2度のお色直し。
 家族がいっしょに衣装を替えるのは、花嫁の家にそれだけの財力があることを示す、つまりは、より大きな祝福がこめられているわけである。
 1テーブル25万円といわれる料理が、11時を少しまわって、やっとデザートになった。
 その後、客の退場が長々と続き、すべて終了したのは、12時にあとわずかという時刻。
「2キロやせました」
 と、金子さんはグッタリ。
 一方のアグネスは元気いっぱいで、
「彼が終始リードしてくれたので、あらためて頼もしいと思いました」
 と、ノロケ、さらにこうつけ加えた。
「子どもは3人ほしい。できれば男・女・男の順で」
 披露宴の冒頭、獅子舞は、男女対でステージに上がり、セックスを表現する踊りを披露していた。初夜はこのようにがんばりなさいという意味があるという。
 花嫁と花婿が、彼らのスイート・ルームでやっとふたりきりになれたのは、午前0時30分のことだった。